Ritz

普段は真面目で優しいFラン大学生

日の光と運動は憂鬱をなくしてくれる

やっぱり人間は日の光と運動がないと健康な精神を保てないと思う。 スーパーに買い物にいって筋トレした日となんにもしないで一日部屋にこもっていた日では夜の憂鬱感が違う。 自分だけかもしれないが。 憂鬱になるとどうしてもネガティブな方向に考えてしまってよくない。 ネガティブな方向に考えたうえに生きていたくなくなってしまう。 生きていたくないのはいつものことだけど、将来を悲観して人生の悪い部分ばかりで心がいっぱいいっぱいになる。

日の光を浴びて運動をするとそういうことが頭をよぎってもまあいいやという風に流すことができる。 ある意味酒を飲んでいるのと一緒かもしれない。自分は酒を一切飲まないし煙草も吸わないし賭け事もしないのでそういう日常のことが重要なストレス発散場所になっているのだと思う。

話は変わるが、パチンコはある意味でとてもよい施設だと思う。高齢者が通うからだ。 パチンコにいっていなければボケていたという高齢者はごまんといるんではないかと思う。自分はそういう人たちのリハビリ場所の代わりだと思うとあまり嫌いになれなくなった。もちろん法律的にグレーだからそこはどうにかしてほしいけど。 パチンコにいくことによってボケがなくなるのと、介護をするのではどっちがマシなのかという話だと思う。 介護をするということは明確にその人が衰えていく様をそばで見続けないといけないしお金も時間もかかる。だけどパチンコにいかせておけばとりあえず元気なのがわかるし時間をつかわなくていい。 だからパチンコが生きがいの高齢者にはどんどんやらせてあげるべきだと思う。

話を戻す。 日の光と運動は人の精神を健康にしてくれる。 自分の場合はネガティブな思考はしても、”だからなに?” で済ませられる程度には精神が保てる。 結局ある程度規則正しい生活をするように人間はできてしまっている。 無茶がきくのは若い間だけだろうしその無茶のつけは老いてからくる可能性もある。 深夜にゲームをするのは楽しいしラーメンを食べるのもいいけどずっと続けるのは体が悲鳴をあげてしまう。

外にでるのもあんまり好きじゃないし寒いから筋トレをする気もなかなか起きないけどそれをやらないといい感じに健康を保つことができないのでやるしかない...。

もし自分は記事で死についての考え方とかそういうことについて書いているときはたいてい筋トレと日の光をあびるのを何日がさぼってしまった時だ。 一日やると次の日はまあいっかになってしまって、まあいっかを繰り返す。これが原因だ。