Ritz

普段は真面目で優しいFラン大学生

いろいろな気づきがあった

お題「#この1年の変化」 またしばらく日記を書くのをさぼっていた。別に罪悪感みたいなのはないけどこのままだとアフィリエイトへの道は遠のいていくばかりだ。まあ趣味で書いてるので別にPVが少しでもあれば自己顕示欲を満たすことはできるが。

この一年の変化については生活に関してのものがほとんどをしめる。外に全然でなくなって太った。最近本気で痩せないと糖尿病が怖いのでリングフィットアドベンチャーを買おうと思っている。ゲームをするのは好きなのでたぶん続けることができると思う。たぶん あとはいろいろな気づきがあった。 家族に会いたくても会えないのはつらいとか、外にあんまりにもでないと体も心も調子が悪くなっていくとか。外にある程度でて日の光を浴びないと本当に心が死んでいく。 ただそのネガティブな時期を長く維持できたお陰で自分の死生観とかそういうことがある程度固まってきた。ほとんど反出生主義に等しいと思う。それはとても単純な理由で自分が死ぬのが怖くてしょうがないからだ。 生命を産むということは産まれてしまった命に対していつか訪れる死を強要するものだと思う。自分は生きていたいわけではないけど死にたいわけでもない。自分がもし子供を作るとするとそれはそういうことになってしまうんじゃないかと思う。そもそも自分の遺伝子が子供を産むべきではないものだと思う。アトピーだし。 アレルギーの遺伝はしょうがないといってもハンデを背負わせることに変わりない。ないほうが絶対いいに決まっている。なにより生命への責任を取れない。もし産まれてきた子供が遺伝子性の病気を持っていたりして家族が不幸になったらどうしようもない。不幸になったとしてもそれはそもそも産まなければよかっただけでは?という話になる。どれだけ子供に迷惑を掛けられても、どれだけ子供のせいで不幸になってもそれは産んだ人の責任だし、子供を責める権利なんて微塵もない。どれだけのリスクがあるかわからないのに欲しいなんておかしな話だと思ってしまう。 結局ペットと同じような感覚なんだと思う。人に死を強制することをわかっていて産むわけだから。 こんなことを思っても両親のことは愛してるし、兄妹のことも愛してる。 ただ死ぬということが怖いのには変わりない。今生きているのは惰性でしかない。 もともと死ぬのは嫌だけど生きていたくないという考えではあったけど、子供を産むべきではないという考えに至ったのはこの一年間があったからだと思う。 いろいろ思うところはあっても現状を受け入れるしかない。 1000字書いたので終わる。